連載#04「ものづくりと浪人のはなし」

2023年7月10日

野村絵梨

第4回目の更新です。今回は野村が担当します!4回目にちなんで、わたしが4浪していた時のことを今回はお話しようと思います。 

皆さんは、美術専門の予備校があるのをご存知でしょうか。予備校では、美術大学に入るために、絵や立体造形などの実技を学びます。その中で油絵科やデザイン科、彫刻科などのコースが分かれていて、デッサンや粘土、油絵などをそれぞれ学んでいます。

私は高校3年生から数えて5年間、東京藝大入学を目標に彫刻科のコースに在籍していました。藝大彫刻科の試験では、センター試験、1次試験、2次試験の3つがあります。1次試験は木炭を使った6時間のデッサン(消しゴムとしてなんと食パンを使用します)、2次試験は6時間の粘土と3時間の鉛筆デッサンでした。※私の受験当時のもので、現在は少し異なります。

水粘土と出会う

私が本格的に粘土を触るようになったのは、彫刻科のコースを選択した時でした。試験では水粘土、と呼ばれる灰色っぽいきめ細やかな粘土を使用します。成分は土を細かくしたものを水で練ったものなので、陶芸などで使われる粘土をイメージしていただけるとよいと思います。油粘土のようなにおいはなく可塑性に優れ、乾燥してしまっても水に漬ければまた使えるようになる、扱いやすい粘土です。(手がかなり汚れてしまうのが唯一の難点です)

予備校に入りたての頃は、先輩たちが粘土でみるみる形を作り上げていく様子に驚き、まるで魔法のように感じたのを覚えています。

浪人時代に水粘土で作った彫刻。粘土がきめ細かく、目鼻口や髪など細かい造形が作りやすい

4浪時代のエピソード

どうして4浪もしたの?とよく聞かれます。実は、4浪になろうと思ってなったわけではありません。気づいたらそうなっていたのです。

4浪になるとどうなるのか。まず、同期が卒業していき自分だけがずっと予備校に居続けているので、年々みんなが敬語になっていきます。どんどん歳下が増えていき、当時の私は取り残されているような焦りと、不安と情けなさでいっぱいになっていました。

実技の後は、制作した粘土作品やデッサンについて先生に評価をしてもらう、講評という時間があります。全員分の作品を一番上手い人から順番に並べられ、評価の理由を伝えられます。他の生徒にも講評が聞かれるので、制作がうまくいかないと、この時間がとんでもなく苦痛な時間になってしまいます。最年長としてのプライドもあり、一番最初に講評されるように、毎日必死になって制作していました。

講評で先生からもらったアドバイスを毎回メモしていたノート。このページには、「円盤投げ」という石膏像をデッサンした時のことについて書いている

実技試験は3日間のみ

1年間必死に毎日制作をして、どれだけ上手くなっても、その3日間でヘマをすると不合格になります。受験課題は予測がつきづらく当日までわからない上に、うまくいくかどうかはその時の精神状態に大きく左右されます。いかに平常心を保つかも、実技同様大事なことでした。

そのため受験生たちは試験当日にいつも通りの実力が出せるよう、各自でルーティンを工夫していました。具体的には、毎日決まった所作・動作を制作時間内に取り入れる、という方法です。そうすることで体にリズムができ、どんな状況でも普段に近い実力が出せるようになります。

私の場合は、毎日2つ欠かさずやっていた事があります。1つ目が制作開始前に必ず缶コーヒーを飲むこと。2つ目が集中力が切れてくる14時頃、外に走りに行くことでした。試験当日も同じように再現したのですが、試験中は外に出られず走りに行けなかったので、やむなく女子トイレの廊下を全力で10週ほどダッシュしていました笑

ルーティンが功を奏したのか、その年に無事合格できました!

浪人を終えて

私の浪人生活は4浪で終了しましたが、そこから更に5年間、今度はその予備校で彫刻科の講師として働く事になりました。合計10年間、こんなに長く予備校に通うことになるなんて、想像もしていませんでした。

今振り返るとさすがに4浪もしなくても良かったよな、、とも思いますが、継続する力は今の作家活動に活きているし、藝大に行ったことで倉田にも出会えて、Nendouの活動にも繋がっているので、無駄ではなかったと思っています。

大学時代にスケッチした倉田