連載#22 「動物王国のムツゴロウさんに会いに行く」

大江健三郎さんのこと(コラム#21)を書いているさなかの2023年4月5日、人気者の動物研究者でテレビによく出演していた「ムツゴロウさん」こと畑正憲さんが亡くなったというニュースを知った。

ムツゴロウさんに会うため北海道へ行った話をしたい。

そのころ、「子どもはできるだけ自然にふれて育てるのが良い」という信念で、粘土遊びや畑づくり、ウサギやカブトムシを育てるなど自然とふれあいながら造形表現していこうという勉強会があった。
わたしもメンバーで、会の仲間たちとひんぱんに会っていた。顔を合わせると話がはじまる。かならず前向きの気持ちになり、アイデアが生まれ、話がはずんだ。とうぜん1次会ではおさまらず、きまって2次会、3次会へ流れた。

なにかの弾みで、「ムツゴロウさんに会いたい、北海道の大地でじかに話を聞きたい」と盛り上がった時、「行こ行こ、わたしに任せて」と調子よく言ってしまった。

ムツゴロウさんは、中標津町に広大な「ムツゴロウ動物王国」をつくって住んでいらした。そこは北海道東部の「根釧原野」とよばれる地にある。
わたしの父は転勤族ではなかったがあちこち引っ越しながら生きた人で、中標津町に引っ越した時にわたしが生まれた。
なにしろ「原野」だから人口が少なく、家の数も少ない。わたしは人間の顔よりも、牛や馬の顔をたくさん見て育った気がする。そこにムツゴロウさん宅があると聞けば、会ったことはなくてももはや隣人、わが家とは地続きの気分だ。どうしたって「わたしに任せて」と言ってしまうではないか。

その年の夏、会のメンバーはそろって元気に羽田発の飛行機に乗りこんだ。全員、園長先生や保育のベテラン、大学の先生だった。フライト時間は120分、根室中標津空港に着いたとたん、空気がまるで違う。ミルクの甘い香りがする。
ムツゴロウさんに会うために行ったのだから突然の訪問ではなかった。前もって連絡し、OKを得たはずだが、なぜだったかその時はあらわれなかった。かわりにナンバー2の方が長靴すがたで説明してくださり、大きな黒い長靴をブカブカいわせながら、泥んこの中をずんずん歩いて牧場を案内してくださった。

そのころのムツゴロウさんは超人気者である。自分の頭をゾウかライオンだったかの口につっこんだり、ニコニコして猛獣とだき合ったり、動物に対するわたしたちの常識やイメージをつぎつぎとくつがえしていった。ムツゴロウさんがじつは東大を出たエリートと知ってからは、テレビの中の無茶ぶりとのギャップもいっそう面白かった。
テレビの長寿番組を持っており、映画をつくり(「子猫物語」わたしは2回見た)、マスコミは大賑わいでムツゴロウさんを日本中、世界中追いかけていた。

わたしたちの合言葉は「すべて良し」。
ムツゴロウさんに会えなかったけれど「それも良し」である。
動物王国を見たあとは、両手を広げ、真っ青な原野の空気を肺の底まで吸い入れ、地元の子どもや先生たちと話し合い、お腹が空けば、青空の下、ドラム缶に炭を入れて煙をモーモー立てながら鉄板焼きをして、夜は車座でおしゃべりし、合宿生活のような充実の楽しい旅をした。

ムツゴロウさんは名誉町民だったし、わたしは夏に出かけていって小学校や保育園で粘土遊びをさせてもらっていたから、その後、別の機会にお会いすることがあった。ムツゴロウさんの笑顔は知的でとても洗練されていた。

亡くなってすぐ新聞に、ムツゴロウさんの言葉がのっていた(朝日新聞2023年4月7日)。
「僕は、(動物)とベタベタするところから何かを見つけようとしてきました。人間を捨てて一歩でも動物に近づきたいという気持ちでした」
「ベタベタ・・・・・・」。ハッとした。
粘土遊びは、ベタベタ粘土を触ることから始まる。ベタベタしながら形をつくりあげる。幼児は手あたりしだいに周りの物をベタベタ触る。さわることによってそれが何であるか理解し、世界を広げていく。ムツゴロウさんはベタベタしながら動物との世界を広げていった。
そのために「人間を捨てて……」。そこまで言える人はいない。深い目をした笑顔だったのだ。

ただ今、桜前線北上中。わたしが根室市の清隆寺で見た「千島桜」は地面を這うように咲いていた。まもなくつぼみがふくらみ始める。満開は5月、日本で最後の特別な花見である。

粘土作品:幼児がつくったウサギ

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ねんど博士 中川 織江

北海道出身。大学で彫塑を学び、大学院で造形心理学、 京都大学霊長類研究所でチンパンジーの粘土遊びを研究し、博士課程後期修了。
文学博士

職歴は、芹沢銈介(人間国宝)染色工房、デザイン会社勤務を経て、複数の専門学校・大学・大学院で講師、客員教授として幼児造形や心理学を担当。また、10年以上、全国教育美術展の全国審査員をつとめる。同時に、粘土遊びの魅力と大切さを専門誌に連載。

著書に、一般向けの『粘土遊びの心理学』、専門家向け『粘土造形の心理学的・行動学的研究』がある。ともに風間書房から出版。
現在、幼児の造形作品集の出版をめざして準備中。