連載#6 「土塔」(1)

コロナ禍できゅうくつな日々が続いていますが、こういう時こそ、原点にかえって「地に足がついた生活」を大切にしなくてはなりませんね。人間は、ぜったいに「地・土」から離れて生きることはできません。「土」は根源的な物質です

コロナ禍の今も、「いざ鎌倉」の一大事の時も、「土・粘土」を忘れなければ大丈夫、生きていけると思っています。

新型コロナウイルスが流行、世界中を覆うようになって以降、社会に「土」の文字が目立つように感じます。「土」にかんする記事や本、展覧会が以前より多くなりました。土にまったく縁がないようなビジネス誌でさえ、「最後に土に触ったのはいつ?」の大見出しで特集を組んでいるほどです。

根源的な土よ、粘土よ、立ち上がれ! そんな気分で自分を勇気づけていたある日。

新聞を開くと、紙面いっぱいに不思議な「ピラミッド」型の写真が目に飛び込んできました。そこには「怒涛の復活劇」と映画みたいなドラマチックなタイトルがつけられています(朝日新聞夕刊2021.6/5)。

さっそく読むと、その「ピラミッド」は、1300年前、奈良時代につくられた「十三重の土塔」だという。「塔」といえば、法隆寺や興福寺の「五重塔」、談山神社の「十三重塔」が有名ですがすべて木造建築。でも、この塔は、土と粘土を積み上げて完成させたという。戸外で野晒しにされている。雨や雪あられも降る、風も吹く、台風も来る、土なのになぜ崩れない?

こんな形、見たことがない! 

エジプトのピラミッドへ行ったことがあるけれど、四角推のああいう形になったのは、大勢の奴隷たちがサイコロ状の石を気の遠くなるほどの時間をかけて積み上げた結果だと聞かされた。わかりやすい説明だ。だが、そういう形を土でつくるなんて無謀すぎないか。しかも日本にあるとは! 知らなかった、残念無念不覚の至り。

見に行かねば。どこにある?

大阪・堺市にあるという。堺は、憧れの町で行ってみたいところだった。なにしろ、高校生のころに習った、茶道の祖・千利休が住んでいた優雅な文化人の町イメージが強烈にしみついている。それだけでない、NHKの大河ドラマに登場した、鉄砲をあつかう武器商売が盛んな豪商人の町でもある。かと思うと、「君死に給うことなかれ」と矢面に立って戦争反対をうたった歌人・与謝野晶子が生まれた気骨のある町だ。これは国語の時間に教わった。

超有名な茶人と歌人、武器商人が同居する豊かな文化と経済がそろった町。そういう強烈な個性を生む町・堺に、土塔がある。だれが何のために、どのような思いで、何を願ってつくったのだろう? それも奈良時代。しかも戸外。風雨にさらされ1300年間、消えて無くならず、今も建っている。ただ事ではない。「現場百回」は刑事のセリフだが、現場へ行ってそこの空気を吸う、五感で感じるほど強く確かなものはない。わたしは自分の目で土塔を見たい。歩きたい。体全体で感じたい。思い立ったが吉日と東京駅から新幹線に飛び乗った。いざ現場ヘ。目指すは大阪府堺市。続く。

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ねんど博士 中川 織江

北海道出身。大学で彫塑を学び、大学院で造形心理学、 京都大学霊長類研究所でチンパンジーの粘土遊びを研究し、博士課程後期修了。
文学博士

職歴は、芹沢銈介(人間国宝)染色工房、デザイン会社勤務を経て、複数の専門学校・大学・大学院で講師、客員教授として幼児造形や心理学を担当。また、10年以上、全国教育美術展の全国審査員をつとめる。同時に、粘土遊びの魅力と大切さを専門誌に連載。

著書に、一般向けの『粘土遊びの心理学』、専門家向け『粘土造形の心理学的・行動学的研究』がある。ともに風間書房から出版。
現在、幼児の造形作品集の出版をめざして準備中。