連載#27 「岡本太郎さんの思い出」(1)

日本を代表する芸術家、岡本太郎(以下、太郎さん)名を冠した「第27回岡本太郎現代芸術賞」に、「粘道」のスタッフ・野村絵梨さんが入選しました。「粘道」の秋休み中、朝から夜まで、時に徹夜し、食事時間も惜しんで作品づくりに励み、道を切り開きました。

うれしい知らせを聞いた瞬間、喜びとともに、太郎さんにお会いしたことがあるのを思い出しました。
太郎さんは明るさと積極性、強烈な個性で、テレビにCMに大活躍し、つねに社会に発信してわたしたちを刺激し、話題の中心でいつづけた偉大な芸術家です。1996年に亡くなりましたが、現在、太郎さんに匹敵する芸術家がいるか。いくら考えても思い浮かびません。

太郎さんのすることはとびぬけて面白い。ことごとく意表をついてくる。みんなが度肝をぬかれる。しかもアイドル的な存在でした。

「グラスの底に顔があっても良いじゃないか」と言って、グラスの底面に自分の顔を彫り、それをウィスキーの景品につけたのです。そのCMがテレビに流れると、持ち前の明るいパワーが拡散し、たちまち「グラスの底に……」のセリフが大流行しました。
太郎の口調をまねて「仕事をサボたって良いじゃないか」「失敗したって良いじゃないか」といいわけしたり、「おごってくれたって良いじゃないか」とむりやりご馳走になったりしても、誰も怒らなかった。苦笑いしてゆるしてくれた。
アルコールを飲めない人まで、景品のグラス欲しさにウィスキーを買った。私も買った。
水を一口飲むたびに、グラスの底から太郎の顔がグッと近づいてくる。
一家に1個、どこの家にもあったような気がする(まさか)。
先日、友人の家へいったら、そのグラスが現役で使われていたので思わず「ワアーなつかしい」と叫び、その話だけで1時間は盛り上がりました。

太郎は芸術家一家に生まれ、母は作家の岡本かの子です。かの子は働く女性の草分けでした。幼い太郎を背中におぶって、必死に原稿書きに明け暮れていた。背中の太郎がお腹をすかせて泣きだすと、かの子はニンジンを一本丸ごと太郎の口につっこみ、そのままペンを走らせ続けました。
わたしたちはかの子の生き方に憧れ、自分たちが母親になったあかつきには、そういう情熱をもって仕事も子育てもしようと、手と手をにぎり合って「ニンジンの誓い」を立てました。今もニンジンを見るたび食べるたび、反射的に誓いが思い出されます。

情けない思い出ですが、わたしはある会で、太郎さんにお会いしたことがあります。土曜日の晴れた午後、超有名人ですから、わたしたち10人くらいが緊張して座ってお待ちしていると、火の玉のような勢いで太郎さんが入ってきました。
会が始まって、順調に質疑応答していましたが、途中でいきなり、「来るんじゃなかった。ちっとも面白くない。きみら、優等生すぎる。元気な、若者らしい挑戦的な発言があると思ったから来たのにい」 
太郎さんは議論が沸騰するように言ってくださったが、はっぱをかけられた私たちは委縮してしまい、けんめいに考えれば考えるほど、さらに優等生な発言におちいってしまった。最後、「もう来んぞ」、と帰っていかれた。残されたわたしたちは茫然。どうにもならない。全員、劣等生の顔になってしまい、しびれたように動けなかった。

それで嫌いになったかというと逆で、太郎熱はヒートアップするばかり。
だれかが「太郎さんが“万治の石仏”が良いといったから、ぼくたちも見に行こう」といった。そうだそうだと日帰りで長野県の諏訪市へ。駅から町の中を歩いて、諏訪大社・春宮へ。近くにある石仏に着きました。
太郎さんがほめたから良いものだ、その良さがわかるまで石にかじりついてでも離れんぞ、帰らんぞと意気込んで、石仏のまわりを回り、見続けました。しだいにお百度参りをしている修行気分になってきます。
結果、良さがわかったかというと、そのあたりいい加減で、「良いものは良い」という結論で落ち着きました。下の写真は、諏訪在住の知人に頼んで撮ってもらった最近の「万治の石仏」と、TAROさんが書いた石碑です。(続く)

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ねんど博士 中川 織江

北海道出身。大学で彫塑を学び、大学院で造形心理学、 京都大学霊長類研究所でチンパンジーの粘土遊びを研究し、博士課程後期修了。
文学博士

職歴は、芹沢銈介(人間国宝)染色工房、デザイン会社勤務を経て、複数の専門学校・大学・大学院で講師、客員教授として幼児造形や心理学を担当。また、10年以上、全国教育美術展の全国審査員をつとめる。同時に、粘土遊びの魅力と大切さを専門誌に連載。

著書に、一般向けの『粘土遊びの心理学』、専門家向け『粘土造形の心理学的・行動学的研究』がある。ともに風間書房から出版。
現在、幼児の造形作品集の出版をめざして準備中。