連載#28 「岡本太郎さんの思い出」(2)

「座ることを拒否するイス」

なぜだ? 座るためのイスなのに、座るなとは! 
わたしがはじめてショックをうけた太郎作品のタイトルです。
太郎さんは、あの目をまん丸に見開いて言います。
「安易に流れるな、体制に迎合するな、常識を信じるな、疑え、自分の頭で考えろ、イスだからといってやすやすと座るな、既成概念をひっくり返せ、挑戦しろ」
作品でもCMでもイベントでも太郎さんは華があり、強いメッセージを発し、作品を発表するたび話題になりました。彼か書いた本は、わたしのバイブルで必読書、縄文土器の原始的な力強さに気づかせてくれたのも太郎さんです。

「芸術はバクハツだ!」

太郎さんがそういうと、いっきに「バクハツ」が日本中に流行りました。
髪の毛がボサボサだと「おまえの髪、バクハツしている」、家の中が散らかっていると「わたしの部屋、バクハツ中」、ごはんの大盛は「バクハツごはん」。
陽気な笑いが日本中にバクハツ、めでたく、その年の流行語大賞に選ばれました。

「大阪万博(1970)をプロデュースする」

オリンピックと同じくらいに盛り上がったのが大阪万博です。
目玉は、大屋根をぶち破って立つ「太陽の塔」です。その塔にじぶんにそっくりの大きな顔をつけた。強烈で目立つものだから、「太郎は世界的な万博のシンボルに自分の顔をつくった」とやっかまれたほどです。
万博が終わると建物は取りこわされましたが、「太陽の塔」だけは万博のシンボルとして今も立っています。顔も健在です。一見マンガチックですが、じつは本人そっくりです。

「パートナーの敏子さん」

わたしは、太郎さんのパートナー敏子さんとは数回顔を合わせています。もっとお話をするチャンスがあったのに、二言三言、言葉を交わしただけでした。でもそれで良かったと思います。
命がけで太郎さんとその作品を愛していることが全身にみなぎっていました。それがすべてです。それ以上、いったい何を話すことがあるでしょう。
敏子さんは笑うと目が半月のかまぼこのような形になる「福顔」で、お名前通りに俊敏な方でした。女子高のスポーツ選手みたいで、うれしそうに動きまわり、響く声でテキパキと指示し、太郎に打ち込んでいつも張り切っていらした。
太郎さんが亡くなって2年後の1998年、青山の自宅兼アトリエが公開されたのでさっそく行きました。南国風の庭が印象的で、青々と芭蕉の葉が広がっていてそこだけ小さいジャングルみたいでした。

日本の財産「明日の神話」

それからしばらくして、長いこと行方不明だった太郎の大作「明日の神話」がメキシコで発見されたというニュースが大きく報道されました。敏子さんの一念が天に通じた、ついに夢を叶えた瞬間です。
「明日の神話」は幅30メートル、高さ5.5メートルもある巨大な作品です。修復されて日本に運ばれ、2003年、東京の渋谷駅構内の壁面いっぱいにかけられたというので、さっそく見にいきました。ビックリしたことに、カバーもケースもない。絵がむき出して掛けられていたのです。 
「芸術作品はガラス越しでなく、直に見られるべきだ」と、太郎さんはつねづね主張していたそうです。
毎日大勢の人が往来する渋谷駅ですから、ホコリや劣化が目立ってきたため、2023年にクラウドファンデングを募って修復に入りました。先日見にいきましたら、修復が終わってもと通りに飾られていました。下の写真がそれで、色鮮やかによみがえった「明日の神話」です。
スペインにピカソの「ゲルニカ」があるように、日本には岡本太郎の「明日の神話」があります。国の宝物です。  

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ねんど博士 中川 織江

北海道出身。大学で彫塑を学び、大学院で造形心理学、 京都大学霊長類研究所でチンパンジーの粘土遊びを研究し、博士課程後期修了。
文学博士

職歴は、芹沢銈介(人間国宝)染色工房、デザイン会社勤務を経て、複数の専門学校・大学・大学院で講師、客員教授として幼児造形や心理学を担当。また、10年以上、全国教育美術展の全国審査員をつとめる。同時に、粘土遊びの魅力と大切さを専門誌に連載。

著書に、一般向けの『粘土遊びの心理学』、専門家向け『粘土造形の心理学的・行動学的研究』がある。ともに風間書房から出版。
現在、幼児の造形作品集の出版をめざして準備中。